安藤植木店の歴史 (2)
| 途中兵役があり、海軍の水雷兵として巡洋艦榛名に乗り 込みました。 大演習の時一度天皇陛下のお召し艦となり、この為艦内に 飾る盆栽の管理をする役を命令されました。 盆栽にかける水は真水でなければなりません。 水兵はスコールや夕立で雨が降ってくると全員甲板に 集まれの号令がかかり雨水で石鹸を使ったと聞きました。 雨水で身体を洗えない季節等は真水は手桶に2杯と厳しく 制限されていたと聞きました。 しかし盆栽にかける水は無制限でした。 そうでしょうね、天皇陛下に見ていただく盆栽ですからね。 超高級品でしょう。 まだまだ自動車が普及する前の事です。 横須賀の海軍鎮守府に乗用車が一台有るのを見かけたと いう時代ですから。 巡洋艦榛名にはエアコンもエレベーターも付いていたと言 っておりました。 エアコンは弾薬庫の気温を下げるために、エレベーターは 砲弾を砲座まで上げる為に。 兵は当然階段を上下したのでしょう。 艦は多分英国製でしょうね。 |
![]() 父 辰之助(後列左から2番目) 30代くらいか? 「安堂う」と書かれたはっぴを着て |
![]() 植木組合大会 昭和15〜16年くらいか・・・ |
父親も軍を退役後は盆栽業に精を出しました。 毎月22日に自分の家で業者の交換会が行われました。 まだ市場の無い時代ですから。 業者同士の取引は交換会で入札で行われました。 そうしたものが毎月あちこちで開かれました。 支払いは一ヵ月後の延払いです。 ある時前月買った支払いが間に合わず雪の中をお客 様の家へ集金へ行った時です。 市電も止まり難儀して帰ったそうです。 その日が後に言う2.26事件の日です。 100円札で支払いを受けると市島家へくずしてもらいに 行ったそうです。 今でいうなら10万円札か100万円札ぐらいでしょうか。 他ではくずせなかったと言っていました。 |
![]() 浅草 富士植木市 昭和12年6月1日 |
![]() 浅草 富士植木市 昭和13年7月1日 |
太平洋戦争もはげしくなり、昭和19年1月に長男(私の兄)の 乗った潜水艦が撃沈され戦死。 昭和20年3月にB29の空襲で家を焼かれました。 一生懸命に育てていた杉の盆栽もすべて焼けてしまいました。 戦後は盆栽では食べていくことができませんでした。 たまに進駐軍の将校が来て買ってくれることはありましたが。 日本中が大変な時代でしたからね。 そこで庭木に商売替えしました。 そこらじゅう焼け野原ですから植えるところはいっぱいあります。 衣類や食糧等が統制販売されている時、ヤミで儲けている人も いました。 そういう人たちが良いお客様でした。 埼玉県の安行から馬車で植木を積んできました。 到着をお客さんが待っているんです。 飛ぶように売れました。 仕入れはもっぱら自転車です。 植木は柿やザクロ等実の食べられるものが大人気でした。 盆栽屋が庭木を売るのですから苦労をしました。 でも自分の家で売り、庭作り等を行いました。 時代はだんだん落ち着いてきました。 |
![]() 杉の盆栽 |